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恋愛・青春小説 「pike start」   原田夕花の奮闘編 その5

恋愛・青春小説「PIKE START」
08 /30 2017
結局、二時間をめいっぱい使っても、原田はプールに入ることが出来なかった。
一度プールに入らせようと試みたが、いざ爪先が水に触れると、つったみたいに足をぴんと伸ばして入水を拒んだ。
原田がカナズチなのはしょうがない、しょうがないが、もう少しやりようがあったかもしれない。
俺は自分の指導能力の無さを呪った。
休憩室で早めの昼食を摂ることにした俺たちは、手すりのない人一人通れるくらいの狭い階段を、壁を伝い登っていく。
「ヒールだと危ないな。ホラ、手」
俺は手を差し伸べた。
原田の肌の表面は汗で湿って冷たくなっており、つるつるした感触で、ヘビのウロコのようだった。
気を抜いたら離してしまいそうで、俺は掴まれた手を強く握り返す。
原田の手は、柔らかく弾力のある無垢な手だった。
食器洗いなどの水仕事で皮膚がごわごわになっていない、親に大事に育てられたと分かる、そんな手だった。
意識すると体の内側が、じんわり熱っぽくなっていくのを感じた。
階段の中程に差し掛かり、沈黙に堪え切れず、つい「原田」と名前を呼ぶ。
返事はなかったが、そのまま言葉を続けた。
「なにか喋ってくれよ、いつもみたいに、元気に、無邪気に」
数時間前話していたような、どのテレビ番組を見ただの、昨日友達と話したことだの、取り留めのない会話をしてくれるだけでよかった。
だんまりを決め込まれるよりはましだ。
普段のように接していけないと、やりづらくてかなわない。
それでも原田は、喋ることはなかった。
やっとの思いで二階に上がると目に飛び込んできたのは、灰色のカーペットが敷かれた床に、三台の白のテーブル。
テーブルを挟んで向かい合うようにプラスチック製の固い椅子が二つ。
部屋の隅っこには食品自販機、飲み物の自販機、アイスの自販機がそれぞれ一機づつ横一列に並んでいて、昼頃には人だかりができそうだ。
休むために必要なものは過不足なく揃っている無機質な空間で、休憩を取るならほとんど何もないこういう部屋が一番良い。
余計なものが置いてあると、余計なことまでしてしまいそうだから。
「さぁて、軽く食ってくか。何にする?」
「たこ焼きに焼きそば、焼おにぎり、唐揚げ、チャーハン。たくさんあって悩みますねぇ」
写真と顔を突き合わせ、にらめっこして、原田はすっかりいつもの調子に戻っていた。
「俺、焼きそばにするわ」
360円を投入し商品を選ぶと、120と赤い数字が浮き上がる。
119、118……、徐々に減っていく目盛に見入っていると、電子レンジが数える一秒よりも、自分で数える一秒がより長く感じた。
楽しい時間は早く過ぎるというから、この待つ時間はつまらないのだろうか。
いや、俺にとってはデートで恋人の訪れを待ち侘びるように楽しいひと時だ。
「いいですね、私も一緒のにしよう。わ~、回ってますよ」
電子レンジの扉のメッシュ越しに、商品を乗せた丸皿が回っているのを眺めつつ原田が言う。
本当にこいつは、何をするにもいちいちリアクションが大きい。
だからこそ、からかい甲斐があるけれど。
ふと気になることがあって、俺は斜めがけのプールバックからスマホと手帳を取り出した。
自販機を見上げると、Hを象ったアルファベットロゴが目に入る。
ヒノモトフーズ、冷凍食品で有名な企業だ。
さっそくスマホで、『ヒノモトフーズ 自販機 焼きそば』と検索をかけていく。
「人といるときに携帯をいじるのって、よくない癖だと思いますよぉ」
「悪いな、この食品を取り扱っているホームページを調べてるところだ。……えっ~と、180g、約230kcalっと……」
横書きの手帳に調べた情報を、自販機を下敷き代わりにして記入していく。
食後はしばらく動く気がしないから、メシを食う前に付けるのがすっかり習慣化していた。
「マメですねぇ」
「スポーツマンは体が資本だから、食べ物には気を遣うさ」
出来上がるとピーピーやかましい音が鳴り、俺は扉を開ける。
取り出すと蒸気でヨレヨレになった紙の容器から暑さが伝わって、自然と早足でテーブルまで駆けていた。
「ッチ! 先に食べてるぞ~」
割り箸を取り出し、「いただきます」と言ってからフタをめくった。
開けると湯気とともに香ばしいソースの香りが漂ってきて、思わず鼻で吸い込む。
麺にちょこんと申し訳程度の豚バラ肉とキャベツが乗っかっていて、さらにその上に青のりが振りかかり、隅には口直しの紅ショウガも一つまみ添えられている。
見た目はごく普通の焼きそばだ。
モチモチした麺を勢いよくがっつくと、青のりが喉に引っ付いてむせる。
反射的に吐きそうになったが手で口を押さえ、何とか出さずに済んだ。
濃いめのソースの絡んだ麺は、ほどよい塩味が後を引く旨さだ。
シナシナになっているが、キャベツの甘さはしっかり残っている。
紅ショウガを噛むと、油と分泌された唾液が混ざり合い、焼きそばの油っぽさが中和されて、何杯でもペロリと平らげてしまいそうだ。
食事する様子を見て、原田は俺と焼きそばを交互に目を遣り、物欲しそうにしていた。
「ダーメ。早い者勝ちだから」
原田は、なおもまじまじ見つめてきた。
これは俺が購入したものだ。
だから俺が食べるのは悪くないはずだ。
それなのに人工甘味料の後味が舌に残るみたいに、俺は心の中でやりきれない後ろめたさを感じた。
「先に食べたかった? 一口食べる?」
俺は恐る恐る訊ねた。
「いえ、美味しそうに頬張ってて可愛いなぁって。あ、口の周りに青のりが付いてますよ」
「えっ、ホント? どこに?」
咄嗟に唇の両端を触った。
だが油の滑る感触がするだけだった。
指先を見ても、青のりは付いていない。
口元を手で押さえる原田を見て、ようやく俺をからかうためにやったのだと理解した。
「ウソでーす。せんぱい、まんまと引っ掛かりましたねぇ。フフ、フフフ……」
「あんまり年上をからかうな」
俺は原田の眉間にデコピンした。
原田は嫌がりもせず、幸せそうに微笑みを満面に湛えている。
「けど、焼きそばは、やっぱり屋台で作られたやつのが美味しいよなぁ」
「夏祭りで食べたんですか?」
原田が聞いてくる。
笑みを浮かべてはいたものの、不自然なほど口角が吊り上がっていた。
「ん、ああ。去年」
何事かと思いつつも俺は正直に答えていく。
「千尋先輩と一緒に……ね」
小早川の下の名前を囁いた。
知っていて探るような真似をしたのか。
わっつんか理沙が、原田に広言したのだろう。
「おお、夏祭りで花火を見て遊んだ。どうかしたか」
そう告げると、原田はぎゅっと唇を噛み締めていた。
怒りなのか、悲しみなのか、原田の胸の中でくすぶっている感情は定かではないが、何らかの心を押し殺しているのは間違いなかった。
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yuu_garakuta

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