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恋愛・青春小説 「PIKE START」  一年前のあの日 その5

恋愛・青春小説「PIKE START」
04 /29 2018
7月の半ばの午後7時。
照明のない薄暗いプールを、空を覆い尽くさんばかりに発達した雲の切れ間から差し込む光が照らし出す。
波打つ水はソーダゼリーみたいに、ぷるぷる揺れていた。
数時間前まで綺麗な水色だったのに、闇に塗り潰され、空はすっかり濃藍(こいあい)一色だ。
あと一週間後には関東高等学校水泳大会が始まる。
この大会で好成績を納めればインハイに行けるのだ。
中学の頃からの夢が現実味を帯びてきて、『全国』という単語を耳にする度に、俺の心臓はビクンビクンと脈打った。
ゆっくり深呼吸をを繰り返しても、胸の高鳴りはちっとも元通りにならない。
逸る心を抑えるために、先輩たちの練習に付き合っていた。
が、今更ジタバタしてもなるようにしかならないと考えているのか、先輩たちは軽く泳いで一人、また一人とプールから去っていく。
最後に残ったのは、遅れてやってきた二年の山本先輩と俺の二人だけだった。
「どうだ。どこか可笑しな点はないか」
飛び込み台の上で、短距離走のクラウチングスタートの体勢を保ちつつ、言葉少なに山本先輩が訊ねた。
眉間にしわを寄せ、頻りに瞬きを繰り返し、今にも泣き出してしまいそうな弱々しい表情だった。
いつも軽口ばかりで、悩みとは無縁そうな先輩には、とても見えない。
言葉に気持ちを表さずとも、緊張が痛いほど伝わってくる。
今の先輩の瞳にはしょぼくれたプール設備ではなく、関東高等学校水泳競技大会の開催地、東京辰巳国際水泳場のメインプールが見えているのかもしれない。
5000ものベンチ席から刺すような鋭い視線。
スタートを知らせるピッという電子音が鳴り響き、選手たちがプールへ飛び込んだ瞬間、女子たちの甲高い声援、怒声にも似た
応援、それらが一体となって会場を揺らす。
異様な熱気に心なしか鼓動が早くなる
『いつも通り』、そう自分に言い聞かせて、順番が訪れるまでウォーミングアップをしていると、いつの間にかひんやりとした冷気が、身体にまとわりついているのが分かった。
プールのそばにいるからだろうか?
いや、違う。
これは汗だ。
この場に飲まれているんだ。
文武両道を掲げる学校の看板を背負う重責、共に歩んできたコーチとの信頼、応援にきてくれた皆の期待……。
負けてしまえば全て水の泡と化す。
あそこは競泳選手としての実力を全国に知らしめる場所であるのと同時に、必死に取り組んできた歳月を否定する場所でもあるのだ。
けれど、あの場でしか味わえない高揚。
勝利の余韻。
敗北の屈辱感。
それが知りたくて、俺はここにやってきたんだ。
「ダメな姿勢だったら練習中にコーチが激を飛ばしてますよ。自信持ってください」
「それもそうだな。もう7時か。ラストにするぞ」
先輩との会話を終えると、俺は25m先の折り返し地点まで小走りした。
「せんぱーい、どうぞぉ~」
大声で言うと、ジャブンと飛び込む音がした。
視界は不明瞭だが、練習で何百回と見た山本先輩の泳ぐ光景は、しっかりと脳裏に焼き付いている。
均整の取れた逆三角の肢体がプールに沈んだ刹那、水中からめいっぱいに広げた両腕が飛び出し、水面を力強く掻き分けていく。
岩の割れ目にハーケンを突き刺しながら山を登るように、掴みどころのない水という物質を、手で上手に捉えていた。
真正面から眺めていると、まるで水面スレスレを飛んでいるような錯覚すら覚える。
山本先輩の種目はバタフライで、平泳ぎの俺とは畑違いだが、上達に繋がればと思い、時折コツを聞く。
しかし「見て盗め」とか「普通にやっているだけ」とか、はぐらかされてしまう。
どの世界にも理論的、科学的に技術を習得しようとするタイプと、自分の培ってきた感覚を信じて、日々努力を積み重ねていくタイプの二種類がいて、俺は前者、先輩は後者なのだろう。
競泳選手としてはソリが合わないけど、一緒にバカをやれる先輩だから好きだ。
そうこう考えているうちに、音が近づいてきた。
そろそろか。
棋士が将棋盤を見つめるように、目に全神経を集中させてプールを覗き込んだ。
浮かんでは消える白い水泡だけが目印だ。
両腕を思い切り叩きつけられた水飛沫は、爆竹でも投げ込まれたみたいに高く跳ねた。
「うべぁ!」
反射的に情けない声が出てしまったが、俺にも意地がある。
右手に握り締めていたストップウォッチを押すと、顔にかかった水を左腋に抱えていたバスタオルでごしごし拭いた。
「タイムは!」
山本先輩が叫ぶ。
「あー、すいません。ちょっと待ってください」
入った水が目に沁みる。
塩素のせいで鼻がスースーするのが気持ち悪くて、何度も何度も息を吸い込んだ。
悶絶してタイムを読み上げないのがじれったかったのか、右手に持っていたストップウォッチを分捕った。
「11秒58.ベストタイムだ。付き合ってくれてありがとうな。ばかうけ」
「先輩。それ、やめてくれませんか」
先輩は演劇部を兼部していて、部員をたまに演劇の役名で呼ぶ。
意図的にやっているのか、わざとなのか、どちらにせよ失礼だ。
「ハハハ、スマンなぁ。気を付けんとなぁ」
泳いで邪念を振りきれたのか、水を被った俺の姿が余程ツボに入ったのか、山本先輩は大笑して、いつもの調子を取り戻していた。
もう弱気な彼はいない、俺はほっと胸を撫で下ろした。
「なぁ、三好。泳法転向したらどうだ」
独りよがりな説教にならないよう、ゆっくりと言葉を選んで先輩は言った。
その時言われた言葉は、今でも俺の中で尾を引いている。
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yuu_garakuta

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